クラシック音楽
「クラシック音楽」と言う時、暗黙の前提として西洋の伝統な宗教音楽や宮廷音楽の系譜に連なる芸術音楽を指す。
日本では、古楽や現代音楽をクラシックのカテゴリーに入れて論じられることは少なく、18世紀から20世紀半ばまでの250年間のそれを「クラシック音楽」として考える人々が多い。したがって、クラシックから外れる西洋の純民衆的な伝統音楽は、民族音楽と見なされるし、アラブやインド、中国など非西洋の古典音楽は、字義通りの「クラシック音楽」だが、これも民族音楽とされる。
西洋伝統音楽における狭義の「クラシック音楽」は、ハイドン、モーツァルト、ベートーベンに代表される古典派のクラシック音楽のことである。彼らの時代(あるいはその直前のバッハの時代)には、演奏面においてはヴァイオリン属楽器やピアノなどの音量が大きく取れる新しいクラシック楽器の発明や平均律理論の開発など今日につながる新しいクラシックの動きが生まれているし、クラシック作曲技法の上でもソナタ形式などの新しいクラシック様式が取り入れられた。またこの時期には、それまで王侯貴族がおもな聴衆であったクラシックに対し、一般市民という新しいクラシック聴衆が現れた時期でもある。それらのクラシック要素は少なくとも20世紀初頭まではクラシック西洋伝統音楽を特徴付けるクラシック要素でありつづけた。こういった意味合いにおいて、18世紀から20世紀にかけて作曲された一連のオーケストラ、オペラ、室内楽などの諸作品を西洋伝統音楽における広義の「クラシック音楽」としてカテゴライズすることには正統性があると考えられる。
「クラシック音楽を生で聴く楽しみ」というのは当たり前のことのようですが非常に重要なことです。CD,MD,DVD,FM放送,衛星放送ついにはパソコンのファイルと化してしまったMP3などいろいろなクラシック音楽メディアの溢れる現代では,クラシック音楽を聴くこと自体,「ありがたいこと」では全くありません。iPodなどのMP3プレーヤーを使えば1日中好きな場所で好きなクラシック音楽を聴くことができるし,1000円あればデジタル録音のクラシックCDが買えます。高音質のクラシック音楽が携帯電話に配信されるような時代になってしまいました。
そういう時代になぜお金を払ってクラシックコンサートに行くのか?それは,生身の人間がクラシック楽器を一生懸命弾いたり,歌ったりするのをライブで味わえるから,ということに尽きます。クラシックを含めすべての音楽がBGMになっている日常生活の中でいちばん真剣にクラシック音楽を味わえる場所がクラシックコンサート会場なのです。
そこでは,ちょっとしたクラシック演奏の乱れさえ,人間が弾いている証拠となって感じられます。クラシック開演前のチューニングの音,クラシック演奏前の緊張感とクラシック演奏後の開放感,耳をすまさないと聴こえないようなピアニシモから鋭いフォルテシモまで,クラシックのコンサートで味わえるいろいろな感情と色合いは他では味わえないものです。
それとは別にもっと現実的な時間と空間の問題があります。皆さん(特に働いている方,小さいお子さんのいる方)は自宅でクラシック音楽をじっくり聴く時間などあるでしょうか?大音量で部屋の空気を振るわせることはできるでしょうか?いろいろな雑事があって,集中してクラシック音楽を聴く時間など作れないし,ご近所のことを考えて窮屈なヘッドフォンで聴いているのが実情だと思います。クラシックコンサートに出かけるのはおっくうだという人もいると思いますが,周りに他人がいるという緊張感がないと,2時間もじっとクラシック音楽を聴くことなどできません。私自身,この緊張感をもらうために,クラシック音楽のコンサートに出かけているようなものです。
いずれにしても忙しい日常の中でクラシック演奏会場以上に集中してクラシック音楽を聴ける空間というのはめったにありません。もちろんボーッと聞いていても良いのですが,クラシック音楽を聴いている間はクラシック音楽と自分が1対1で向き合っている状態になることが大切です。忙しい現代では自分だけの時間に浸ることがいちばん贅沢で難しいことです。クラシック作曲家が真剣に作ったクラシック音楽は,そういう状況で聴いてこそ初めて良さを味わえます。もちろん,ポップスのコンサートのようにアーティストのトークを楽しみ,体全体で感じるようなノリを味わうことも可能ですが,基本的にクラシック音楽の場合は,音そのものに耳を傾けることがいちばん重要なことです。日常を脱却して快い緊張感と安らぎを味わえる空間―これがクラシック音楽の演奏会場なのです。